『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年4月号 3月20日発行〉

【特集】「せんせい」になったあなたへ2024

  • 全教共済
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第3次救援ボランティアに255人が参加

震災の実情を見た、子どもと学校の現状を知った、復興の課題を学んだ、そして戻ったら自分に何ができるかを考えた3日間

 










 全教・教組共闘連絡会の第3次ボランティアは、8月3日から5日の日程で石巻市で行われ、これまで最大の255人が参加し、がれき処理、住宅の泥出し、稲の苗箱洗い、仮設住宅への野菜のお届け、避難所への激励にとりくむとともに、宮城県の高教組・県教組の役員や地元の方から子どもと教職員の被災状況、学校と地域の復興の課題などを聞き交流を深めるなど、大きな成果をもって終了しました。

お盆を前に、焼けた門脇小の近くのお墓でがれき処理












 初日、全員でとりくんだお墓のがれき処理では、墓石が倒れ散乱する中で、津波で覆いかぶさったがれきを取り除き、紙くずや泥をかき出し、お墓がきれいに見えるようになり、お寺の住職や墓参の遺族から大変感謝されました。がれきの中からは、家族や子どもの写真や卒業証書などの思い出の品、クレジットカードや財布などの貴重品も出てきて、家族の手元に戻るよう市役所に届けました。墓地の奥の方でがれきの下から遺体が見つかり、お盆を前に身元が分かり遺族のもとに帰れるようにお祈りしました(合掌)。250人ものがれき処理は地域でも注目され、東京新聞など地方紙が写真入りで、「お盆前にできる限り…」「全国から集まったボランティアの教師らが、がれきの撤去に汗を流した。全日本教職員組合の呼びかけで250人が集まった」と報じ、福井高教組の組合員のコメントを紹介しました。
 この日は、開会集会を門脇小の校庭でおこないましたが、津波とともに押し寄せた重油の炎上により外壁が黒く焼けただれた校舎は、窓のサッシが溶けているなど、炎のすさまじさをとどめていました。海岸から1キロあまりの街一帯が廃墟となるなか、そこに立つ焼けた校舎の姿は、さながら被爆後の広島のようで、震災の衝撃をとどめる歴史的なモニュメントとなっています。参加者も、校舎と一階の職員室・保健室や教室の跡などを熱心に見つめ写真に収めました。
 昼の休憩時には、裏山の急階段を登り日和山の上から被災の全貌を視察しました。3月11日、押し寄せる津波を背に、この山に子どもも年寄りも必死に登ったことを思いながら、参加者は階段に汗を流しました。山上では地元在住の菊池さん(元宮城高教組委員長)から、門脇小学校の子どもたちが普段の避難訓練どおり日和山に避難して全員が助かったこと、校長室にあった耐火金庫のなかの卒業証書は無事で卒業生に手渡されたこと、コカリナ演奏者の黒坂黒太郎さんが焼け残ったアカマツの木からコカリナ300個をつくって子どもたちに送るとりくみをすすめていることが報告され、「アカマツがコカリナとして蘇ったように、石巻も復興してほしい」との黒坂さんの言葉が紹介されました。

 











 作業の終了後、再度、門脇小の校庭に集まり、まとめの会をおこないました。ここでは、現宮城高教組委員長の髙橋正行さんから県内の子ども・高校生と学校の現状についてお話を伺いました。髙橋さんは、「地震や津波は天災だが、それから5カ月も経とうとしているのに、いまだに避難所に多くの方が暮らし、子どもたちが他校に間借りして勉強し、高校生が深刻な就職危機に直面していることは人災だ」と述べ、「いま何がほしい」と聞くと「学校がほしい」と答えた子どもの願いに応えられる教育をすすめなければならないと、熱い思いを語りました。また、「卒業したら石巻からもっと広い世界へ」と考えていた高校生が「地元にとどまり、地域のために働きたい」との思いを募らせていることを紹介し、「しかし現状は、親も5割から7割が離職している状況で、地元の就職は厳しい。でも、ここで青年を県外に出したら復興はない、何としても地元に仕事をつくるために国の支援が必要だ」と強調しました。参加者はメモを取るなど熱心に聴き、全国が心ひとつに被災地の生活再建のためにたたかう運動の大切さをかみしめました。

住宅の泥だし、稲の苗箱洗いなどにとりくみ










 2日目からは、5台のバスなどに分乗し、住宅の泥だし、稲の苗箱洗い、仮設住宅へ野菜届けなどにとりくみました。アパートの泥だしに行った50人のグループは、床下にたまったままの泥を掻き出すために、床板をはがし、屈んで汚泥をすくい出すという臭いもきつい重労働に汗を流しました。大家さんからは、「救援が来なくて困っていた、助かりました」と感謝の言葉があり、近所からは「明日はうちも」と要望が出されました。県教組組合員の自宅の泥だしに行った10人のグループは、日本製紙の工場から流れ出た大量のパルプや紙屑が40~50㎝も積もった庭の泥をシャベルで掘り起こし、土嚢袋につめて外に運び出しました。住宅街でも、幹線道路から奥に入るとまで救援の手が届いていない地域があることも分かり、引き続く全国からの救援の必要を痛感しました。
 東松島市にある農家8軒が共同経営している会社から、全労連の現地支援共同センターに津波で泥をかぶった稲の苗箱を洗ってもらえないかと要望があり、全教・教組共闘から2日間でのべ130人が行って、泥まみれ、水浸しになりながら、汗だくで作業を続け、8千箱の洗浄作業をやりとげました。この会社の津波による被害総額は1億2千万円でしたが、捨てようかと思っていた苗箱が使えるようになり800万円分を取り戻せたと喜ばれました。ここには、県教組石巻支部委員長の渡辺さんに来ていただき、近くにある被災した浜市小学校の校舎や体育館の中に入って視察し、子どもたちのようすを伺いました。翌日には、近くの避難所となっている公民館に組合員が出向いて紙芝居などを行い、子どもたちに大変喜ばれました。

仮設住宅へ野菜を届け、被災した住民や子どもを励まし、要望を聞き交流












 仮設住宅には、3日目に、100人がバス2台と神障教組のマイクロバスに分乗し、野菜などを届けました。全国のカンパから農民連に注文して届けてもらったジャガイモ、玉ねぎ、キュウリ、枝豆は、前日、神障教組からの参加者23人の団結の力でたちどころにより360袋に小分けされ、バスに積み込まれました。石巻市郊外にある最大の仮設住宅トゥモロータウンでは、55人の参加者が組をつくって210世帯に野菜を届け要望を聞くとともに、小さな公園では、ギターと歌で住民の方も集まり、生活用品を広げ、子どもたちに風船をあげるなど喜ばれました。入居者からは「近くに店がない」「公共機関がない」「自動車も流され移動の手段がない」「住宅のまわりの草刈をしてほしい」「物資の配達は、震災直後は多かったけれど、最近はあまりない」という声がきかれ、今後の息の長い活動の必要を感じました。
 また、女川町から被災者が入居したばかりの仮設住宅には、日本共産党町議会議員の青空市と協力して、谷間の県道沿いに1キロ近くも続く22棟、約200軒の家々に手分けして野菜を届けました。多くの参加者は被災住民と話しができ、また、持参した紙芝居や指人形で子どもと遊ぶ活動もおこないました。青空市場には多くの住民が訪れ、用意された衣類、タオル類、食器、調理用具、トイレットペーパーなど多くの生活用品が持ち帰られました。青空市場には、福井高教組の参加者に託されたタオル類や埼玉高教組組合員より託されたコマも支援物資として提供されました。
 古川駅近くに宿泊した東京からの参加者は、宮城県教組の斉藤委員長や古川支部の皆さんとの交流会もでき、幅広く交流を深めることができました。
 参加者からは、「全教ならではの企画で、学校や子どもたちのことも知ることができてよかった」「被災地のために働くことと地元に帰って知らせること、開会集会で言われたこの2つの仕事をちゃんとしようと思う」「今後も地元で何ができるか考えていきたい」「津波が流したものを、人の津波で復興したい」「全教・教組共闘からの案内でボランティアに参加できてよかった」など、感想が寄せられています。

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