『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年10月号 9月20日発行〉

【特集】教職員の長時間労働と「中教審答申」を問う

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オピニオン

【アピール】教育再生特別委員会 中央公聴会で米浦全教中央執行委員長が陳述!教育3法案に反対し、廃案を強く求める!

2007年 5月16日 
全日本教職員組合 中央執行委員長 米浦 正

 まず初めに、内閣より提出された学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案のそれぞれについて、問題点を指摘します。



 学校教育法の一部を改正する法律案についてです。
 この法案の問題点を3つ述べます。
 第1は、教育基本法が第2条に「国を愛する態度を養う」ことを入れ込んだことを受けて、学校教育法に書かれている小学校・中学校の目標に、同じように「国を愛する態度を養う」ことを入れ込み、教育基本法と学校教育法を根拠にして、「愛国心」の押しつけを行おうとしていることです。
 「国を愛する気持ち」などといったことは、教え込まれて、ましてや押しつけられて育まれるものではなく、自然の感情として現れてくるものです。
 義務教育の目標に態度が掲げられて、それが問題とされるなら、子どもたちは態度を気にして萎縮し、伸び伸びとその子らしく育つことが阻害される恐れがあると、私は思います。そもそも、近代民主主義国家において、法が人の心の中に踏み込むことなどあってはならないことであり、子どもたちに心のありようを押しつけることは許されません。この問題は、昨年の教育基本法をめぐる国会審議でも大きな問題となりましたが、憲法第19条が保障する「思想・良心の自由」に違反します。
 また、幼稚園の目標に「規範意識の芽生え」を入れ込んでいることも見過ごすことができません。幼い時期から押さえつけて、子どもを鋳型にはめ込む危険性をもち、人間的な伸びやかな成長・発達を保障するうえで問題といわなければなりません。
 
 第2は、副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな職をつくり「置くことができる」としていることです。これは学校に上意下達、上命下服の管理体制を持ち込むものであり、いま切実に求められている、教職員が本当に力を合わせて教育活動にとりくむことを困難にするものです。
 今でも締めつけのきつい職場を、もっと締めつけ、教職員の伸び伸びとした教育活動を押さえつけようとするものです。子どもや保護者は授業を担当する教員の増員を求めているのであって、授業をもたない副校長や、少ししか行わない主幹教諭や指導教諭の配置を望んでいるとは、到底思われません。
 今、教育現場に必要なことは、新たな中間管理職づくりではなく、子どもたちにゆきとどいた教育をすすめるための条件整備として、国の責任で30人学級を実施すること、文科省の調査によっても平均で過労死危険性ラインをはるかに上回る月60時間を超える超過勤務や病気休職者、とりわけ精神疾患による休職者が激増しているという困難な実態を、教職員を増やすことによって、少しでも解消すること、教職員が自主性を発揮して、伸び伸びと教育活動にとりくめるよう、教育現場の自主性を尊重し、励ます教育行政に転換することなどです。
 教育予算も増やさず、教職員の数も増やさずに、新たな中間管理職をつくるならば、現場の困難はむしろ増すばかりです。
 
 第3は「学校評価」を学校教育法に位置づけ、学校の自主的な教育活動をしばり、国言いなりの学校づくりを行うとしていることです。教育のいとなみは、子どもとの直接的なかかわりのなかで行われるものであり、学校の評価は、何よりも当事者、つまり、その学校の教職員と子ども、保護者・父母の双方向的な論議のなかからなされていくべきものです。 
 
 次に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案についてです。
 この法案では、地方教育委員会に対する国の関与を強めようとしています。「日の丸・君が代」の強制や全国一斉学力テストの押しつけが端的に示すように、これまでも、政府・文部科学省は、地方教育委員会の自主性や自主的判断を無視、あるいは軽視して、国いいなりの教育政策を押しつけてきました。今回の改正案はこのことをさらにすすめて、文科省と地方教育委員会の関係を「指導・助言」を超えて「指示・命令」の関係とし、国による地方教育行政の締め付けをいっそう強化しようとするものです。そのねらいは、時の政府いいなりの地方教育行政と学校をつくることにあると、いわざるを得ません。また、私立学校に対する教育行政の関与を強めようとしていることも、問題点として指摘しなければなりません。
 
 次に教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案についてです。
 この法案では、いまは終身有効である教員免許に、10年間の期限をつけ、10年目には教員に30時間の講習を受けさせ、その講習で修了が認定されなければ、教員免許を取り上げて、職を奪い失業させるという制度、つまり教員免許更新制を導入しようとしています。同時に、講習を受ける必要がないものと認められた者は免除されるとなっています。国のいいなりにならない教員は教壇から排除され、排除されたくなかったなら従順になれ、と脅すものであり、認めることはできません。
 さらに重大なことは、教免法と一体に教育公務員特例法を改め、指導が不適切だと認定した教員に対し、1年以内の「指導改善研修」を課し、改善がみられなければ、免許をとりあげ免職させる制度を新たに設けるとしていることです。子どもと保護者は、十分に時間をとって向きあってくれる先生を求めているのであって、研修に明け暮れする教員を求めているのではないと思います。こうした脅しと排除の制度づくりは、教員を萎縮させ、子どもたちのためにがんばろうとする教員の意欲をそぎ、ひいては教員志望者を激減させる結果を招くことは明らかといえます。新教育基本法でさえ「教員については…その身分は尊重され、待遇の適正が期せられる」と述べており、それにも反するといわなければなりません。
 
 これまで、述べてきたように、3法案は相互に影響しあって、子どもの成長・発達を助けるという教育の目的を、「愛国心」や「規範意識」を押しつけるものへと変質させ、従わない教員は免許を奪って失職させるなど、教育の国家支配・統制をめざすものといわざるを得ません。
 これら3法案は改悪教育基本法の具体化をめざすものです。改悪教育基本法が違憲立法の疑いをもつものであるがゆえに、これら3法案も憲法の原則と大きく矛盾するといわざるを得ません。
 とりわけ、「愛国心」の押しつけは、憲法第19条が保障する内心の自由を侵す大問題といわなければなりません。改悪教育基本法を審議していた国会で、いわゆる「愛国心通知表」をつきつけられた当時の小泉首相は「愛国心を評価するのは難しい」と答えざるを得ず、当時の小坂文部科学大臣は「愛国心にABCをつけるなど、とんでもない」とまで答弁しています。これらの答弁からいっても、義務教育の目標に「国を愛する態度」などを書き込むことは決して許されることではありません。
 また、教職員の教育上の自主的権限の保障は、憲法第13条(幸福追求権)、第23条(学問の自由)、第26条(教育を受ける権利)によって導き出される教育の条理にもとづくものであり、教職員の自主的権限を蹂躙する教免法改悪、地教行法改悪は、この憲法の原則に真っ向からそむくものです。憲法違反の法律はその存在そのものが許されません。
 また、指摘しなければならないことは、3法案の審議にあたっては、その内容上、文部科学委員会がその役割を担うべきものとして設置されているにもかかわらず、ことさらに「教育再生に関する特別委員会」を設け、その上、中央教育審議会同様に連日の審議日程を構えるなど、委員会運営のあり方は異常であり、審議時間を形だけ整えたとしても、慎重で十分な審議が行われたとはいえません。
 そして、何よりも強調したいことは、これらの法案により行われるいわゆる「教育再生」を教育現場では誰も望んでいないということです。 
 
 以上により、私は内閣提出の3法案に反対し、廃案を強く求めます。

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