『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年4月号 3月20日発行〉

【特集】「せんせい」になったあなたへ2024

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「全国一斉学力テスト」の中止を求める運動交流集会を開催!【発言】

【発言】田中 隆 弁護士(自由法曹団 幹事長、全教常任弁護団) 

こんばんは、弁護士の田中といいます。
 自由法曹団の幹事長をやっています。
 本来ですとどちらかというと、改憲手続き法と激突するのが本務の仕事です。本日、改憲手続き法案の衆議院での強行採決が2時17分でしたか、その後3時近くに米軍再編特措法がやはり強行採決され、そして教育3法の特別委員会の設置が行われた、ここまで重なるとたまたまではないんですよね。


 学力調査と個人情報があるということでたぶん話を求められたんだろうと思います。
 資料集に自由法曹団があげた声明と全教常任弁護団の声明を入れておきました。
 個人情報保護法案についての説明は、全教常任弁護団の声明に詳しいので、追って検討いただければと思います。ちょっと経過を申し上げておきます。自由法曹団が全国会議、常任幹事会でこの問題を最初に議論したのは3月17日でした。教育基本法闘争でみなさんと一緒に対応してきた教育対策本部で具体化したのは3月26日だったと思います。そして急遽声明をまとめたんです。かなり急いでやったつもりではいるんですが、まとめた日がちょうど文部科学省が番号記入を認めた日です。たたこうと思ったら、向こうさんが先に崩れてしまった。「だったらとにかく町からやろう」と提起し、みなさんの各地でやられている運動に法律事務所や弁護士ができるだけ参加しようじゃないか、ということにしました。ぜひ地元に自由法曹団らしい事務所があったら声をかけてみてください。法律事務所によっては地元の教育委員会に、「学力テストそのものの中止、少なくとも子どもの個人情報を守れ、ないしは保護条例を守れ」という要請をやったところもあります。また4月17日、自由法曹団東京支部は、あの石原都政のもとでの「日の丸・君が代」処分と合わせて、学力調査問題で、宿敵というべき都教委に乗り込んで交渉をやる予定です。 
 
教育水準の調査になんで名前を書かせなければならない? 
 今法的な論点を先にあげておきます。
 個人情報保護との関係の論点。1点目は、今度の調査に名前を書かせるということ自体にあります。正確に言うと、生徒・児童を特定すること事態がはらんでいる問題。これが出発点なんです。2月に、日本共産党の石井郁子議員が国会で、「何で名前を書かせるんだ」という質問をやりました。伊吹文科大臣が答えました。「子どもに返さにゃいかんから」―なに考えているんですかねこの人。確かに学校でみなさんがおやりになる試験やテストは返すでしょう。本人の学力をはかり、すすんだかどうかを本人に分からせて成績に反映させるんですから。これは確かに名前を書かせて返さなければならない。今度やろうと政府が言っているのは、あくまで教育行政上の学力水準の調査であって、個々の児童・生徒の成績が良いか悪いか、ということを国家がチェックする、そんな試験ではないはずです。そんなことをやったらそれこそ教育法体系が完全に崩壊します。そうであるならば何も教科テストであったって、書かさなくてもいいはずです。それで学力水準は分かるんですから。
 まして問題になっている「質問紙調査」。プライバシーに踏み込んだ調査をどうして児童・生徒に返すんですか。採点して返すんですか。返しようがない調査のはずです。にもかかわらず「名前を書かせて個人に返す」などという説明は詭弁以外の何物でもない。ここが基本だと思います。
 これをあえて個人情報保護法との関係で考えてみればということについて、自由法曹団の声明の2ページ目にその関係をいれておきました。個人情報保護法という法律がありますが、自治体は全部条例になっています。行政機関の個人情報保護に関する条例―全部の都道府県区市町村に必ずあります。もし、地元地教委等と交渉されるなら、チェックされるとよろしいでしょう。
 個人情報保護でいいますと、まず第3条で「個人情報を保有するにはまず利用の目的を特定しなければならない。そしてその特定した目的を超えて、保有してはならない」―要するに「必要がないのに個人情報を集めてはいけない」という規定があるんです。これは「行政機関が集めてはいかん」というのですから、個人情報保護法は行政機関を信用していません。端的に言えば、「お上だから集めて良いんだ、安心しろ」という考え方では個人情報保護法はいらない。大前提が崩壊します。
 だったら、「教育水準の調査になんで名前を書かせなければならないの?」という問題。ここが第3条に、入り口から抵触するだろう、ここが眼目だと思います。 
 
個人・家庭情報が蓄積して流用される危険は現実的なもの 
 2つ目、その児童・生徒の情報が学校から外に持ちだされてしまうことの問題。当然、学校の中には児童・生徒の学力情報もあるし、プライバシー情報もいっぱいあるんです。出した瞬間、学校ではなくなるでしょう。今回は、学校からしかも民間企業に名前の入った解答用紙を持ちだされます。何で持ちだされるか、採点・集計・分析をするのにどうして個人名が必要なんでしょうか。仮に誰が受けたか分かるためにだったら、個人名を書かせても、それを外して持って行けばいいじゃないですか。そんなことができるか?できます。
我々弁護士は全員司法試験を受けているんですが、私が受けた30云年前から最近まで、論文筆記試験に名前を書かせますが、採点官に採点させるときは全部名前を消します。どうしてって?だって民法の採点する教授がうちの教え子の答案だと分かった瞬間に下駄を履かしてしまいますからね。こういう試験であってもやるんです。本来、そうあるべきものをそうしないで名前をつけたままで出してしまう。
これが個人情報保護法との関係でいえば、第8条に「利用目的以外のために所有個人情報を自ら利用し、または提供してはならない」という規定に背反するだろう。これが抵触の2つ目です。
 3つ目の問題はさっきから出ているその提供先が、受験産業のベネッセやあるいは旺文社と関係のあるNTTデータだということです。要するに受験産業に氏名が特定できる回答用紙が行くわけですよね。恐らく受験産業にしてみたら、いっぱいテストの答案をもっていますから、国語と算数の方は嬉しくもなんともないです。欲しいのは質問紙調査で、「何冊家に本があるか」だとか、「何時間勉強しているか」とか、あの情報は垂涎の的ではないですか。それが全部、自分のところに集めることができれば、本当においしいはずです。それを蓄積して流用される危険は現実的なものであって、彼らが企業として受験産業を発展させようとすれば、本当に流用するでしょうね。
 受験産業にいまのような本当においしい情報を与えておいて、適切な管理がされると信頼する方が、はなから無茶です。国会であった質問のとおりです。そんなことするわけないし、そんな信頼ができるわけはない。
 このあたり、個人情報保護法からいっても問題になる。ここまではっきりしてさすがの文科省も「名前は絶対」とは言えなくなってしまった。ここが、攻防ですね。
さて、ちょっとずれますけど、どういう訳か文科省は「番号でやるためには条件があるんだ」と勝手に決めて、それを押しつけようとしています。個人情報のプロパーではないんですが、とんでもない話なんで――法律問題なんで――ふれておきます。こちらは地方自治法と地教行法の問題なんですが、今回の学力調査には、それを実行する法律の根拠は何もありません。よく似たもので、4年に1回やられている国勢調査というものがあるでしょう。あれは、一応国勢調査法というものがあるんです。それで全国一斉にやるけれど国民への強制はできません。
 今回は何の根拠もないんですから、そもそも任意でしかできない。あくまで文科省が教育行政のために実施させていただく行政上の調査で、地教委との関係は「お願いいたします」という関係以上にはない訳です。文科省が調査について、発表しているリーフレットがあります。これはHPに載っています。その冒頭、「本調査は、文科省が学校の設置管理者(すなわち市町村教育委員会ですね)の協力を得て実施するものです」となっていて、あくまでも地教委は協力する立場です。
 どうして、その協力してもらう地教委を拘束することができるんだという問題です。地教委にしてみたら、学力調査の事務はせいぜい、自治事務なんです。法定受託事務という国が強制できる事務がありますけれども、その時には法律の根拠が必要なんです。せいぜい自治事務なんです。自治事務について、どのようにやるかは基本的に自治体の自主性にまかせるというのが、地方分権の基本だった訳です。その自治事務について文科省がやれることは、地教行法の第48条で指導・助言・援助ができるとある。ただ、指導・助言・援助というのは、あくまでも任意であって、自治体に対して、拘束力はありません。
 もう一つ、ウルトラCがありまして、地方自治法第245条の5で是正要求ができるとあります(これはいままで発動されたことはないんですけれどもね)。この是正要求は、しかし、法令違反の場合しかできないので、そもそも法律上の根拠のない学力調査に発動できるわけがないんです。だから、愛知県犬山市が「やらないよ」と言ったって、文科省は文句を言えないんです。だったら、「名前を書かずに番号で断固やるよ」と言っても、絶対に是正要求もできませんし、文句も言えません。後は自治体の腹だけです。もし、動揺している自治体があったら、ぜひ「地方分権の精神に従ってやれ」と励ましてあげていただきたい。
 それでは国の言うことを地教委が聞かないから困るじゃないか、と考えた文科省が現在提出したのが教育3法案の一つの地教行法の改悪案です。この改悪案の中では、50条に文科大臣に地教委に対する指示の権限を認めています。地教委に言っていただきたい。「いま法律が出されているのは、あなたのところにかかっている圧力をさらに強めるために出されているんだ!そんなものを地教委は認めていいのか!」と、今回矛盾が強まっているんですから、そこを叩いて地教行法の改悪がけしからんという声を強めていく、そんなバネにもできるんじゃないかという気がします。 
 
極めて深刻な意味での児童・生徒・子どもたちの序列化、階層化
 最後に、今回ベネッセ等に情報が流れることを叩いて、名前から番号に押し返す本当に貴重な一歩だと思う。ただし、それがあくまでも第1歩に過ぎないということをお互いに確認しておきたいと思います。
 実は学力調査と個人情報の問題の根底にあるのは、国家が個人を特定できる形で、児童・生徒に全員に同じ問題での評価調査をやり、そして、プライバシーにかかわる質問紙調査を押しつけるというところにあるはずなんです。そして、この根底の問題は、かりに名前を書かなかったからといって、本質的には変わらない、だって学校の中では分かるんですから。ベネッセに分かるかどうかの問題は解決するかもしれないが、学校では分かる。そのことについて、政府がどのように説明しているかについて、もうひとつだけ紹介して、けしからんと言っておきたい。
 今の点を石井さんに聞かれた伊吹文科大臣がどう答えたか。今回調査は、「必ずその子どもに返してやれ」これがまず一つあります。これはさっきも言いました。その次に言ったせりふ。「それからもう一つは各教科の調査結果と、質問用紙の結果を符合させながら集計することであります。だから名前を書いてもらわないと困るのです」―わかりますね、算数と国語のテストの名前と92項目に及ぶ「何時間テレビ見ていますか」「家に何冊本がありますか」「お母さん学校によくきますか」「朝、お母さんとお父さんといっしょにご飯を食べていますか」―この調査の結果をお互いに対応させて、分析すると言っているんです。そのために、名前を書かさなければならないと言っている訳です。それが何を意味するか、もうお分かりになるでしょう。
 その子にとって点数と点数をとりまく生活状態をまず特定するんです。「成績が悪い」「親が熱心じゃない」「朝飯をつくっていない」と、こうなりますね。この相関関係が分析されるわけです。成績の良い子どもの家庭はこうだ、成績の悪い子どもの家庭はこうだ、と今度の調査の恐らく眼目にあたるのはここだと思います。
 これは、極めて深刻な意味での児童・生徒・子どもたちの序列化、階層化です。私は率直に言って、これが本当に流れたら、クラスの子どもの中にもっともっと亀裂をつくると思います。成績が悪いのは家庭のせいだ、と言っているのに等しいんですから。そのための言わば、アイテムとして名前を書く、あるいは個人名が特定される形でテストが考え出されているということが本質であって、この学力調査問題の本質は子どもたちの序列化、分断にあるし、それをさらに学校単位で集約し、地域単位で集約していけば、当然のことながら、経済格差と連動して、それこそ教育格差がますます激しくなる、ないしは激しくさせるというところにあるんだと思います。
 この問題に我われは挑まなければならないと思います。自由法曹団は、このような調査そのものが断じて許されないものだと考えます。ですから、法律家の団体の声明でありながら個人情報保護の問題よりも、差別化の方を前面に出した。その意味を理解いただければと思います。今度のたたかいの中で、少なくとも最初の構想どおり文科省はすすめられなくなりました。それを一つの確信にし、橋頭堡にして学力調査そのものを見直させ中止させるためにたたかっていきたいと思います。ともにがんばりましょう。

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