『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年10月号 9月20日発行〉

【特集】教職員の長時間労働と「中教審答申」を問う

  • 全教共済
オピニオン

【見解】『子どもたちや学校の現実を見ず、教育予算増・教職員定数増に背を向ける09年度予算編成についての財政審「建議」を批判する』

2008年 6月10日 全日本教職員組合 中央執行委員会

大企業優遇・消費税増税と軍事優先、国民生活破壊の逆立ち財政は、根本的に見直すべき 
 財政制度等審議会(会長:西室泰三東京証券取引所グループ取締役会長)は、6月3日「平成21年度予算編成の基本的考え方について」(以下、「建議」)をとりまとめ、額賀財務相に提出しました。
 「建議」は、「骨太の方針2006」にもとづく「成長力強化と財政健全化を車の両輪」とする「構造改革」路線の推進とともに、「安定的な財源」として消費税の増税を強く求めるなど、さまざまな優遇措置で減税されている大企業には負担増を求めず、国民だけに負担を強いるものとなっています。


 小泉内閣の数年間だけでも100兆円の債務を増加させてきたこうした「構造改革」路線を推進することは、ワーキングプアを大量に生み出し、生活保護などのセーフティネットを破壊し、貧困を増大させ、格差を拡大し、ますます財政状態を悪化させるだけのものになりかねません。
 また、娯楽費までも支出している米軍への「思いやり予算」「増加が見込まれる」とする米軍再編経費なども含めた防衛関係予算は、事実上聖域扱いしています。
 このような「民滅びて、大企業と軍がはびこる」ともいうべき財政運営は、根本的に見直すべきです。
 「建議」は、今後の財務省の予算編成基準や「骨太の方針2008」に大きな影響を与えるものです。全教は、子どもたちにゆきとどいた教育を保障するという観点から、以下の看過できない重大な問題点について指摘し、見解を表明するものです。
 
教育費の「スリム化と配分方法の大胆な見直し」で教育は壊される 
 「建議」は、「総論」で、「教員の授業等への集中」「『投入量』から『成果』へ転換」「教育予算は主要先進国と遜色ない」として、教育予算を増額する根拠はないとしています。
 しかし、条件整備は財政的裏付けなしにはできないものであり、「『投入量』から『成果』へ転換」というのは、予算削減の口実というべきものです。
 
①「教職員定数の純減」
 「建議」は、①教職員数が「平成元年以降、…児童生徒1人当たりでは1・3倍」になっている、②「教員一人当たりの児童生徒数は、主要先進国に比べて遜色がない」、③「新学習指導要領」による時数増は織り込み済み、などとして「自然減分の純減を確実に実施」としています。しかし、こうした見方は、①現行の教職員配置は、学校数や学級数を基準に配置されていること、②学級編成基準は40人のままであり、少人数学級による教職員増は、地方自治体の財政努力によるものであること、③現行指導要領の下で時数増を行なっている学校での教職員の負担増、などを無視したものであり、現場の実態とかけ離れたものです。
 
②教職員給与の「縮減」
 「建議」は、一般行政職より2・36%高いとして、教職員給与の縮減を求めています。財務省は、教員の給与問題で、考え方において一般行政職との機械的均衡論を前面にだしていますが、そもそもそれは正しいのでしょうか。地方公務員法第24条にあるとおり、給与決定の原則は「職務と責任に応ずる」ものであり、生計費にのっとったものでなければなりません。教職員に人材を確保する観点から制定されている「人材確保法」もあります。教職員の給与におけるそうした観点からの検討がないまま、縮減の方向だけが強調される「建議」の論理は、まさに給与縮減のためだけの論理であり、決して認めることはできません。
 また、「建議」は、「教員の残業時間が…必ずしも昭和41年調査を上回る水準であるとはいえない」として「給与の増額は適切でない」としています。具体的には、財務省資料を見ると、事務や会議の時間を今の半分程度だった42年前の状態まで減らし、若手の教員がベテランに比べて長時間かかって授業準備や成績処理、行事・給食指導をしている時間の半分程度を「自発的な残業」としてしまえば、月8時間程度の残業時間になるはずだと主張しています。これは、仮定の上にさらに仮定を重ねて、無理難題を押しつける論法でしかありません。
 42年前と比べて何が増えたのかといえば、「生徒指導」「成績処理」「事務的業務」「保護者対応」「補習・部活等」です。その一方で、「授業準備」の時間が減っています。一人ひとりの教員にとっては、もっと時間をかけたいと思っている「授業準備」の時間を削らざるをえないほどの長時間過密労働に追われているのです。「給与の増額は適切でない」のではなく、今の教職員の勤務実態に見合う給与水準と教職員定数こそ確保されるべきです。
 
③「学校規模の適正化」
 文部省(当時)は、昭和48年に「公立小・中学校の統合について」(文部省初等中等教育局長、文書管理局長通達)を発出し、「無理な学校統合」で、地域住民等との間での「紛争」や「通学上著しい困難」は「避けなければならない」。「小規模学校には…人間的なふれあいや個別指導の面で…教育上の利点」があり、「存置し充実するほうが好ましい場合もあることに留意」とするもので、統廃合のおしつけを戒めています。こうした点からも「建議」の非教育的な議論は、許されるものではありません。しかも、「ランニングコスト」や財政の「効率化」など、教育を経済活動に見立てる論議は、子どもたちの成長・発達を企業の経済活動に役立つ人材の育成に置き換えようとする財界の論理そのものであり、憲法の理念にも反する暴論というべきものです。
 
④高等教育費・私学助成の削減
 「建議」は、国立大学の運営費交付金や私学助成の前年度比1%の削減、奨学金の上限金利の見直しや回収強化など、高等教育費のいっそうの削減を押しつけていることです。また、高等教育を受けた人の割合が「高い」ことのみを理由に、学費の負担が「教育機会の確保に大きな障害となっているとは言い難い」としています。
 しかし、文部科学省の調査によると、国立大学の06年の初年度納付金は、71年と比べて51倍以上となっており、この間の消費者物価指数が約3倍であることを考えれば、異常な上昇率となっています。また、公立高校の授業料負担も40年間で10倍以上となる中、授業料が払えずに進学を断念したり、教科書が買えずにコピーして授業を受けている高校生もいるなど、事態は深刻です。政府が、国際人権(A)規約の第13条2(b)及び(c)の批准を行い、後期中等教育や高等教育の無償教育の漸進的導入に踏み出すことをこそ求めるべきです。
 
教育予算は未来をつくる子どもたちのために 
 教育は、子どもたちの成長を無条件で保障するものでなければなりません。成長・発達する権利は子ども自身のものであり、行政はそのための条件整備をすることこそが役割です。
 「将来世代に大きな負担」という言葉を繰り返し、歳出削減にむけた考え方を正当化しようとしていますが、歴代政府のもとで国民生活を踏みにじり、自らの政策が少子化を招いたことをまったく反省せずに、逆に少子化を理由に教育予算の増額を認めないという論理を認めることはできません。財務省の教育予算に対する考え方は、予算削減のためにはなりふりかまわずデータを引きずり回し、中長期的な日本の教育に対する理念も何もない、教育に金をかけないだけの亡国論だといえます。
 全教は、「お金の心配なく学べる社会」の実現に向け、父母・国民とともに、教育予算増を求め、全力で奮闘するものです。
 
                                              以上

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