『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年4月号 3月20日発行〉

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【意見】『「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」についての意見』

 全教は、文科省の求めに応じ、「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」に関する意見を示しました。


2007年11月29日 全日本教職員組合

 「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(以下、中間報告)では、「学習指導要領改訂の基本的な考え方」として、まず、「改正教育基本法等を踏まえた学習指導要領改訂」があげられており、とりわけ、改正教育基本法第2条の「教育の目標」と学校教育法第21条「義務教育の目標」をあげ、これを踏まえて検討を行ったとされています。改正教育基本法にかかわる国会審議においても、この第2条が大きな問題となりました。問題となった第1は、法律に「教育の目標」を規定することの是非をめぐって、第2はその「教育の目標」に「国を愛する態度」を入れ込むことは、いわゆる「愛国心」押しつけにつながり、憲法第19条が保障する思想・良心の自由に抵触するのではないかということでした。学校教育法第21条にかかわっては、同様の問題点があることに加え、改正教育基本法にもなかった「規範意識」が盛り込まれていることから、子どもたちをいっそう管理することにつながらないか、ということが議論されてきました。
 教育現場では、こうした「愛国心」や「規範意識」が、学習指導要領によって具体化されるならば、子どもたちの内心の自由への重大な侵害となるとともに、子どもたちへの管理統制を強化するものとなるのではないかという強い危惧があります。
 事実、社会科の目標では「改善の基本方針」として「わが国の国土や歴史に対する愛情をはぐくみ、日本人としての自覚をもつ」と述べられており、重大な懸念を払拭し切れません。最終答申にむけて、あらためて憲法第19条をはじめ、教育にかかわる憲法の諸条項にもとづいた検討を求めるものです。
 
 中間報告は、文部科学省が「重点指導事項例」を提示するという新たな方向を示しました。「重点指導事項例」がどのようなものになるかは、中間報告を読む限りでは、なお不透明なものです。文部科学省は、これまでも学習指導要領には「法的拘束力」があるとして、教育現場への押しつけを強めてきました。それに加え、「重点指導事項例」によってさらに拘束を強めることになるのならば、二重の管理統制の強化となるのではないかと危惧します。
 一方で、中間報告は、「現場主義」として学習指導要領の拘束を受けない学校を、これまでの研究開発校や特区研発に加え、さらに増やすということを述べています。これが「学校評価」と連動されて、教育行政がお墨付きを与える「できる学校」に対して適用され、そうでない学校には、「重点指導事項例」による最低限の拘束がかけられるということであるのならば、そもそも学習指導要領はすべての子どもを対象にしたものであるはずなのに、そうではなくなってしまうことを意味するものとなります。仮にそうであれば、学習指導要領そのものによって子どもと学校の序列化、格差づくりをすすめることになるのではないでしょうか。最終答申での解明を求めます。
 
 中間報告は、教育内容のかなりの部分を復活しています。しかし、学校5日制完全実施前の学習指導要領に盛り込まれていた教育内容を、学校5日制完全実施になっているのに、ほぼそのまま復活させているのではないでしょうか。そうなれば、1時間の授業内容がさらに過密になってしまい、結果的にはさらにつめこみとなってしまうのではないかという強い疑問があります。子どもたちの学習負担増となることは、子どもたちへの豊かな学力保障を困難にすると考えます。最終答申にむけて、さらに教育内容の精選と構造の組み替えを求めるものです。
 
 中間報告は、教科の授業時数を小学校6年間で国語、社会、算数、理科、体育を中心に増加させ、6年間で約350時間増やすとしています。これにともなって、授業時数は、小学校低学年で週2コマ、中・高学年で週1コマ増加させるとしています。とりわけ、小学校1年生で週25時間、毎日5時間授業というのは、発達段階からみて、どうしても無理が生まれるのではないでしょうか。
 中間報告は一応、授業時数の国際比較も行い、学力「世界一」とされるフィンランドの授業時数は、日本よりも少ないと述べているにもかかわらず、その他の国々も引き合いに出して、結論的には「単純に比較できない」として、授業時数増の方向を打ち出していますが、授業時数増が子どもに過重な学習負担を強いることにならないか心配されます。この面からの検討を求めるものです。
 
 中間報告は、「全国学力・学習状況調査」の結果も引きながら、子どもたちの「活用力」に課題があるとして、「活用力」を強調するとともに、「知識・技能の確実な習得」が重要として、「スパイラル」を強調しています。
 基礎的な知識を活用する力そのものは重要であり、現場では子どもたちが確かで豊かな学力を身につけることができるようにと、子どもの知的好奇心や、自主性、自発性を大切にしながら、さまざまな実践がおこなわれています。しかし、それは押しつけるべきものではなく、多彩に展開されている実践を豊かに交流することをとおして、すすめるべきものです。学習指導要領によってこれを現場に押しつけようとすれば、「『活用力』を教え込む」という本末転倒の事態にもなりかねず、大きな問題です。
 また、「スパイラル」が強調されているにもかかわらず、具体的な教科にかかわっては、小学校の算数の項にしか述べられていません。ここからイメージされるのは、計算などの反復練習です。現場では、計算力の定着のために子どもの学習意欲を大切にしながら、繰り返し練習するとりくみもおこなわれており、それ自体は重要なことです。そして、その方法は子どもの実態に応じて多様におこなわれています。ところが、指導の方法まで画一化して学習指導要領に規定することになれば、まさに、無味乾燥な反復練習が押しつけられることになり、子どもの豊かな学びの妨げになるのではないかという強い心配があります。特定の学習方法を現場に押しつけるのではなく、今行われている実践を豊かにするための条件整備が求められます。
 
 中間報告は、小学校での「外国語活動」を小学校5・6年で週に1コマおくとしていますが、小学校での英語教育については、その是非をめぐって、教職員の間でも、また国民的にも意見が分かれています。伊吹文明前文部科学大臣も小学校での英語教育には否定的見解を示しておられたと思います。国民合意がないものを無理に持ち込むと必ずひずみがでるのではないでしょうか。また、指導者については、「学級担任を中心」としていますが、小学校の教員は、そのほとんどが英語教育の免許を保有しておらず、条件整備抜きでの実施は、現場での手探り状態を引き起こし、ひいては子どもたちを英語嫌いにしてしまう危険性も持っています。そうした状況をふまえ、小学校での「外国語活動」については、国が決めて押しつけるのではなく、現場の裁量にゆだねるよう、再考すべきであると考えます。
 
 最後に、中間報告が「教師に指導を躊躇する傾向がある」と述べていることについて、一言申し上げます。文部科学省による「新学力観」の押しつけのもとで、教育委員会の指導主事などが、「『指導案』ではなく、『支援案』と書け」とか、「教師は指導してはならない」などと、教師に指導放棄を迫るような事態が全国のあちらこちらで引き起こされました。にもかかわらず、あたかも教師の側に問題があったかのように述べ、現場に責任転嫁することは、行ってはならないことです。私たちは「総合的な学習の時間」や中学校の選択教科については、当初から問題あり、としてきました。今回「総合的な学習の時間」や中学校選択教科の削減が述べられていますが、「もうこれ以上、現場をふりまわさないでほしい」というのが現場の率直な声です。
 最終答申においては、文部科学省に対し、「法的拘束力」があるとして学習指導要領を現場に押しつけてきたことを根本からあらため、中間報告が明確に「大綱的基準」と述べているとおりの運用を求めることを明記されること、また、中間報告で言及しておられる教職員定数については、現場の切実な要求をふまえ、抜本的改善を求めると明記されることを強く要望し、意見表明とします。

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