『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年4月号 3月20日発行〉

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オピニオン

【意見】『「学校教育法、教育職員免許法等、地教行法の改正の方向について」の意見』

◎全教 改悪教育基本法の具体化許さず!教育関連3法案に反対! 
 
 中教審で学校教育法、教育職員免許法等、地教行法の改悪反対の意見表明! 
 
 全教は2月28日、東京・私学会館で開かれた「中央教育審議会 教育制度分科会・初等中等教育分科会」において、学校教育法、教育職員免許法等、地教行法の「改正」について反対する意見を述べました。


2007年 2月28日 全日本教職員組合

1.学校教育法について

 まず、学校教育法について申し上げます。「改正の方向」によれば、第1に、学校種の目的及び目標の見直しがあげられており、それは、「改正」教育基本法第2条に教育の目標が規定されたことを踏まえてのものである、とされています。
 「改正」教育基本法にかかわる国会での審議を通して、「国を愛する態度」=愛国心を入れ込み、法律で子どもと国民に押しつけることは、憲法第19条が規定する思想、良心、内心の自由に背く大問題であることが提起され、議論されたことは、記憶に新しいところです。「目標」には、それがどれだけ達成されたかという「評価」がともないます。国会審議では、いわゆる愛国心通知表がとりあげられ、当時の小泉首相は、「愛国心を評価することは難しい」と述べ、当時の小坂文部科学大臣は、「愛国心にABCをつけることなど、とんでもない」と答弁しました。
 「改正」教育基本法には、「国を愛する態度」等を目標として盛り込むことにはなりましたが、これを子どもと国民に押しつけるべきではない、というのが国会審議の到達点です。この到達点を踏まえるならば、「改正」教育基本法を根拠に、学校教育法に同様の目標を新たに盛り込むべきではない、ということが結論になると考えます。学校教育法に、憲法第19条に背く「国を愛する態度」などの目標を盛り込むことには、明確に反対する立場を表明するものです。
 中教審審議におかれましては、最高法規である憲法との整合性についての真剣な検討と吟味を当然の前提として、第164通常国会および第165臨時国会における政府答弁も踏まえた検討、吟味をお願いしたいと思います。
 
 第2に、義務教育の年限については、教育基本法から削除したので、学校教育法に位置づけることは当然であると考えます。義務教育の年限について、これを変更すべきであるという父母・国民からのとりたてての要求はないことから、現行制度どおりとすることで問題はないと考えます。したがって、教育基本法と同様の文言で「国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う」と規定するだけで十分であると考えます。
 
 第3に、学校の評価等に関する事項を学校教育法に新設することについてですが、学校がすすめている教育活動の評価については、各学校がそれぞれもっている課題について、各学校で、子どもの意見や父母の意見をききながら、双方向的かつ自主的に行うことが重要であり、法律にこれを位置づけることについては、なじまないと考えます。したがって、学校教育法に学校評価にかかわる事項を新設する必要はないと考えます。
 
 第4に、副校長、主幹、指導教諭など新たな職をつくり、第28条に位置づけることについて意見を述べます。
 これは、職場に新たな上意下達の体制をつくることになります。子どもの成長・発達に直接かかわる教育現場では、教職員が自主的で闊達な教育活動を行うことが何よりも求められます。これは、憲法第13条、19条、23条、26条が教育に要請する基本原則であることは、旭川学テ最高裁判決からも明らかです。これに上意下達で指示、命令による学校運営体制をつくることは、本来なじみません。現に起こっている教職員の困難は、これまで政府・文部科学省が教育委員会や校長をとおして、教職員に対する管理統制を強め、教職員の自主的で闊達な教育活動の幅を狭め、教育現場を息苦しくしてきたことが最も大きな原因の一つです。憲法第19条が規定する内心の自由のお互いの承認を前提としてなりたつ教育のいとなみの中心点は理解と納得であり、それゆえ命令、強制は教育になじみません。子どもの成長・発達を目的とする教育現場が求める学校運営組織は、利潤追求を目的とする企業の運営組織とはまったく異なるものです。先行的に主幹が設置されている東京では、主幹のなり手がないという大きな問題を抱えているのは、こうした運営組織が教育といういとなみを行う学校にふさわしくないことを事実で示すものです。
 
 加えて言うと、「改正の方向」では、副校長は授業をもたないことになります。また、主幹や指導教諭も授業を持つ時間は非常に少なくなることが予測されます。教職員は文部科学省の調査でも、月80時間を越える超過勤務という長時間過密労働の状態におかれています。このもとで、教職員定数を増やしてほしいというのが現場の切実な願いとなっています。ところが「骨太の方針2006」では、教職員に対しては、自然減を上回る純減が提起され、教職員を増やすどころか減らす方向が示されています。教職員を減らして、そのうえに授業を持たない職や授業を持つ時間が極端に少なくなる職を新たにつくれば、教職員はますます過重負担となり、多忙化に拍車をかけることは、火を見るよりも明らかです。こんなことをすれば、現場教職員から激しい怒りの声が寄せられることは間違いありません。
 
 中教審審議におかれましては、そうした現場の実態と教職員の要求をふまえ、抜本的な見直しを強く求めます。
 以上のことから、新たな職を第28条に位置づける学校教育法改正に反対します。
 

2.教育職員免許法について

 第2に教免法改正について述べます。教免法改正の目的は、教員免許更新制を行うためです。教員免許更新制については、2005年に中教審がヒアリングを起こった際に、反対の意見表明を行っており、さらに中間報告が出された段階で、教員免許更新制は導入すべきではないという中央執行委員会見解を表明しています。あらためてその意見と見解を添付していますので、基本見解はそこに譲ります。
 ここでは、3つの角度から問題提起いたします。
 第1は、憲法が規定する公務員の全体の奉仕者性との関係です。教員免許更新制は、時の政府のいいなりになる教員づくりであり、この点から、憲法第15条2項が規定する「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」に背く大問題を持つということです。「改正」教育基本法から「教員は、全体の奉仕者であって」という規定は取り払われてしまいましたが、憲法には、公務員としての教員が全体の奉仕者であることは厳然として規定されています。憲法との関係での厳密な吟味、検討を求めます。また、私立学校の教員については、教育が父母・国民との直接的関係でいとなまれることから、身分は公務員ではなくても、全体の奉仕者性をもつことは当然であり、したがって、現行教免法においても公立学校教員と同様に位置づけられているところであることも申し添えておきます。
 
 第2は、教員免許更新制についての制度設計そのものが成り立たないのではないかということです。文部科学省は、これまで教免法を改正して、特別非常勤講師など教員免許を持たないものを教壇に立たせる制度をすすめてきました。また、文部科学省の政策誘導によって、小学校英語が導入されているところが多くありますが、ほとんどの場合、英語教員の免許を持たないものがその指導にあたっているのが、実情です。また、高校の情報の免許は、わずか30時間の講習の受講による安易な免許状付与を行ってきた実態があります。たとえて言えば、これまで、無免許運転を奨励し、そのための専用道路をつくって、どんどん走らせてきたにもかかわらず、今回突然、きちんと免許を持っている人には厳しい取締りを行うようなものであり、政策的整合性を持たないものです。これでは、国民に対して説明がつきません。このもとで、どのような制度設計が可能だというのでしょうか、きわめて不可解です。
 なお、免許の失効、取り上げについては、現行教免法第10条、第11条で規定されており、これを正しく運用することで十分対応できると考えます。
 
 第3は、教員免許更新制は、教員の身分を根底から危うくするものであり、こんなことをすると教員志望者が激減する重大問題を引き起こす危険性がきわめて高いということです。すでに2月19日付東京新聞では、「教員養成学部の志願倍率が低下」と報じており、「いじめ問題での教職員批判や政府の教育再生会議での『ダメ教師排除論』などの教育に対する逆風の強さが人気低下の背景」と述べています。教員免許更新制は、教員を10年目には必ず失職する危険があるという状態に置くことです。このような不安定な職業はほかにありません。教員をこのような不安定な職業に貶めて、だれが、教員を志望するでしょうか。教員免許更新制は、「教育は人」という教育の根幹を崩す大問題を引き起こす危険性がきわめて強いものであり、絶対に導入するべきではないと考えます。
 ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」においても、「教員の適切な地位および教育職に対する社会的尊敬が教育の目的および目標の完全な実現にとって非常に重要であることを認識するものとする」(指導原則5)と述べられており、教員免許更新制は、この国際的共通基準に照らしても、導入するべきではないことを付け加えておきます。
 また、教育職員免許法改正とかかわって、「指導が不適切な教員の人事管理の厳格化」のための教育公務員特例法の改正について提起されていますが、いわゆる「指導力不足教員」の人事管理については、CEART(「教員の地位勧告」の適用に関するILO・ユネスコ共同専門家委員会)の勧告に沿った、手続きの公平性、透明性、などの確保こそ求められており、新たに教育公務員特例法を改正する必要はないと考えます。
 

3.地教行法について

 第3に、地教行法について述べます。地教行法の「改正方向について」では、一方で「教育における地方分権」を述べつつ、もう一方で「教育における国の責任の果たし方」として文部科学大臣が、都道府県教育委員会や市町村教育委員会に対し、是正勧告や指示ができるようにすること、また、教育委員会や学校等の教育機関は、文部科学大臣・都道府県教育委員会が行う調査に協力するものとするなど、国の権限強化の方向を示しており、大きな矛盾を持つものとなっています。
 また、都道府県教育長協議会ならびに都道府県教育委員長協議会は、2007年2月13日に、文部科学大臣および教育再生会議にあてて、意見表明を行い、「教育委員会制度等地方に関わる事柄については、各地域が当事者意識と責任を持って教育にとりくむという地方分権の視点に立って、議論がなされるべきである」と述べておられます。
 これらを踏まえ、2つの角度から意見を述べます。
 
 第1は、教育の地方自治の原則です。地方自治は憲法第92条でその基本原則が規定され、教育が地方の業務であることは地方自治法で規定されています。旭川学テ最高裁判決では、そのことについて、「戦前におけるような国の強い統制の下における全国的な画一的教育を排して、それぞれの地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであって、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つをなすものであることは、疑いをいれない」と教育の地方自治を確認しています。したがって、憲法と地方自治法が要請する教育行政は、当然地方自治を原則とすべきです。とりわけ、教育長については、「地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する」(地教行法第4条)ものであり、教育長の任命について国が関与することは、首長のみならず、地方議会の意思をも国が無視するものとなり、地方自治および、議会制民主主義をおかすものといわなければなりません。
 なお、私立学校について、教育委員会が関与することは、私学の自由にかかわる大きな問題であることを指摘しておきます。
 
 第2は、憲法が要請する教育の責務と教育行政との関係についてです。先に述べたように、憲法第13条、19条、23条、26条は、教育の自由の根拠であり、それは、教育が国民との直接的関係でいとなまれることに由来します。教育行政が及ぼす作用は、あくまで行政作用であり、教育と教育行政は区別されなければなりません。したがって、現行地教行法においても、学校と教育行政の関係は、指導助言関係が基本であり、指示命令関係ではありません。「改正の方向」が言うように、学校に対して、文部科学大臣や都道府県教育委員会が行う調査に「協力するものとする」という訓示規定をおこなって、学校に対する教育行政の関与を強めることは、指導助言関係という原則を崩すことになり、それは、教育に対する憲法的要請および、旭川学テ最高裁判決の到達点にもそむくことになります。この角度からも、地教行法改正には反対です。
 
 
 以上申し述べたことは、「改正」教育基本法が憲法に背反する重大問題をはらんだ法律であることに根本的原因があると考えます。「改正」教育基本法を具体化しようとすればするほど、それぞれが憲法との根本的関係を問われることになります。あらためて、憲法に立脚した真剣な検討を求め、意見表明といたします。

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